法人の理念

宝島福祉会設立者の思い

 豊かな緑と水・太陽の恵みがいっぱいのここ大阪能勢町上杉に宝島はあります。19年前に上杉の皆様をはじめ多くのボランティアの皆様のご協力と支援に支えられ、宝島はスタートしました。その後、自閉症・知的障害などのハンディキャップを持った仲間の作業所・宝島企画と自立支援寮での暮らしも13年目を迎え、その子供たちも成人した顔を見ると過ぎた歳月の重みを感じます。
 現在、自立支援寮はグループホーム宝島(スバル1・スバル2)として国の施策の素産経新聞厚生文化事業団のバックアップをいただき、また同事業団の運営施設である三恵園が宝島のバックアップ施設として多大な支援を受け生活面においては恵まれた運営をさせていただいております。
 宝島の思いを少しでもご理解いただけましたでしょうか。人として生かさせるとき、だれにも何らかのハンディキャップは与えられていると思います。でも、一人でも生きていくのがとても難しいなら家族だけでなく多くの支えあいがみんなの幸せに結びつくと信じています。
 2003年3月 中幸男・中恵子

宝島福祉会の沿革

1981年(昭和56年)9月
 大阪市の西淀川教会にて宝島・愛光言葉の教室を始める。週1回1時間の発達に合わせたプログラム学習【UCLA・Dr.JBkellyのプログラム学習法】を実施。各家庭でリピート。春夏冬のキャンプや旅行等を重視し幼児期からの自立を目指す。これは、多くのボランティアの協力で行っていた。
1982年(昭和57年)5月
 「宝島・愛光ことばの教室」が淀川区十三東・宝マンション1Fに移転。
1985年(昭和60年)5月
 能勢町上杉に宝島・能勢キャンプ場が完成。合宿・キャンプを土~日に行う。
1989年(平成元年)4月
 ことばの教室を閉める。ウイークエンドキャンプ(土~日の宿泊訓練)を始める。
1991年(平成3年)10月
 自立支援寮が完成。【のちのグループホームになる】
1992年(平成4年)2月
 作業所・宝島企画の作業棟が完成。
1992年(平成4年)4月
 作業所・宝島企画を17~18歳の利用者(以降、メンバーとする)4名と指導員(ボランティアスタッフ)2名で開始。日~月は自宅帰省。当時公の補助は有りませんでした。それとともに寮での生活もスタート。他のメンバーはウイークエンドキャンプを継続していました。
1996年(平成8年)4月
 グループホーム宝島・スバル1が国のグループホーム政策の対象となる。メンバー4名、世話人2名でグループホーム宝島は国・府・産経新聞厚生文化事業団・三恵園(バックアップ施設)の援助・支援によりスタート。
1998年(平成10年)4月
 グループホーム宝島・スバル2が国のグループホーム政策の対象となる。スバル2はメンバー5名、世話人2名。スバル1は、メンバー5名、世話人2名。
2004年(平成16年)2月
 2月23日より社会福祉法人宝島福祉会は法人として設立。4月1日より知的障害者小規模通所授産施設作業所宝島企画がスタート。メンバー10名(定員14名)、職員3名。同年4月に法人の開設及び作業所開始式を執り行った。
2005年(平成17年)4月
 4月1日より知的障害者地域生活援助事業(グループホーム宝島・スバル1、スバル2)が社会福祉法人宝島福祉会の運営によりスタート。4月29日には第1回社会福祉法人宝島福祉会総会を実施。
2006年(H21年)10月
 10月1日よりグループホーム宝島はケアホーム宝島として始動。
2009年(平成23年)8月
 8月1日より共同生活介護事業「ケアホーム宝島」女性棟であるケアホーム宝島スピカ(定員5名)が運営開始。 
2014年(平成26年)4月
 法改正によりグループホームが一元化。共同生活援助(介護サービス包括型)事業所「ケアホーム宝島」となる。